ぴゅーろ*といぼっくす。

誰もが楽しく生きやすい世の中を目指して。

毒親から逃げて生活保護を受けた話。

 

どうも、いつぶりかのブログ投稿です。

iPhoneからの投稿なので

読みにくかったらごめんなさい。

 

 

今回は私がどうやって生活保護を受けたか

そして実際にどう生活しているかを書きます。

 

何故生活保護を受けることになったかは

過去のブログに書いてあると思うので

詳しくは割愛しますが

要約すると毒親から逃げる為です。

 

では早速書いていきます。

 

住所が東京にあった私ですが

まずは引越し先の浦安の市役所に行きまして

生活保護を受けたい旨を説明しました。

 

 

相談を聞いてくださった社会福祉課の方は

凄く丁寧に聞いてくださいましたし、

世間でよく聞く追い返したりなんてことも

全くしませんでした。

 

あと、受理されてから語る話ですが

わりと生活保護の申請が受理される事前提で

話が進んでました。

 

 

相談すると、生活保護自体は申請可能ですが

住所が東京にある状態では無理です。

と言われました。

 

なのでまず浦安に引越しをすることを

先に進めました。

 

この際、私は三親等以内の保証人を

得られない状態だったので

保証人・保証会社の要らない、かつ

生活保護で扶養範囲の値段の物件を探す事が

かなりキツかったです。運が本当に良かった…

 

こういう形が取れない方は

障害者向けのグループホームなどに入居する、

女性向けのシェルターなどに

住所を移すと言うやり方があると思います。

 

特に未成年で毒親から逃げたい人は

そう言った方法で世帯を分けたら良いのかな

と思います。

 

そうして住民票を浦安市に移してから

改めて市役所に行き、

生活保護の申請を行いました。

 

本来生活保護の申請をした場合は

私の親・親戚に確認の連絡‪が行くのですが

 

私の場合は親に行方が知れると

とんでもないことになるので

連絡はしないで欲しいと伝えた所、

その訴えはしっかり聞いてもらえましたので

 

親・親戚は全員私が生活保護

受けていることを知りません。

 

申請をして2週間程度で審査は終わりましたが

審査の間私は生活費が無かったので

市からお金が出ました。

 

そのお金は生活保護の申請が受理されたら

生活保護費の中から返す、と言う仕組みで

貸してもらえました。

 

更に生活保護の申請の際

家に冷蔵庫と洗濯機が無かったので

それを買うための扶助の申請もしましたので

問題なく買うことが出来ました。

 

この扶助は生活保護申請時にしか貰えないので

生活保護を申請する時にエアコンや洗濯機など

無い場合は申し出ましょう。

 

そういう流れで私は生活保護を受けました。

 

次の記事では生活保護を受けて1年

どうやって過ごしてきたかを書きますね。