ぴゅーろ*といぼっくす。

誰もが楽しく生きやすい世の中を目指して。

生活保護を受けて1年、どんな生活を送ってきたか。

 

 

こんばんは、

ちゃんりおぴゅーろらんどです。

 

今日は私が生活保護を受けて一年経ち

日々どんな生活を送ってきたかについて

描きたいと思います。

 

 

まず多分皆さんが気になるのがお金ですよね。

私は精神障害者保健福祉手帳の2級を所持してるので

障害加算と言うものが付いて月々13万で暮らしてます。

 

そのうち家賃4万円

通信費約1万円

ガス・水道・電気代5000円前後

食費3万

残りを好きに使っています。

 

使い方については全く制限が無いです。

私は貯金をしてSwitchやPS4を買いました。

今はポケモンカードにハマっています。

再来月はディズニーにも行きます。

 

担当のケースワーカーさんも

ケアマネージャーさんも

りおさんが幸せに暮らせるように考えるのが

1番優先ですと言ってくれています。

 

人間、働くことももちろん大事だけど

美味しいと感じたり楽しいと感じられる事って

それよりもっと大事だから

私はりおさんがそうなれるように支援がしたい、

精神保健福祉士さんに言って貰えました。

今でも印象に残っている言葉です。

 

 

さて、生活保護を受けると

ケースワーカーさんという相談役の人が

担当で1人着きます。

 

受給してから3ヶ月程度の期間は

ケースワーカーさんが

1ヶ月に1度のペースで家庭訪問に来ました。

今は半年に1度くらいのペースです。

 

基本的にはお家に上がってもらいますが

担当の方が今は男性で私が女性なため

玄関先で訪問を受けてくれる配慮をして貰えてます。

 

聞かれることは今の体調や生活ぶりです。

所持品については何も言われませんし

物色もされません。

 

「焦らずりおさんのペースでゆっくりやっていきましょう」

と言ってくださって優しく接してくださいます。

 

けして無理やり就労を推し進められたり

暴言を吐かれることなんてありません。

私の意志を尊重してくださいます。

 

 

ここで私の日常生活ですが

私は基本的に地域活動支援センターと言う

精神障害者向けの施設に日々通っています。

だいたい週2〜3のペースで。

 

ここですることは様々で

普段は憩いの場で利用者さん同士で

お茶を飲みながらお喋りしたり

1人で本を読んだり塗り絵をして過ごたり

ギターが好きな人は黙々と弾いたり自由に過ごしてます。

 

プログラムが入っている日は

調理をしたり、みんなで歌ったり、

美術館に行ったり、紅葉を見に行ったり、

今の時期だとクリスマス会があったりします。

 

この施設のおかげで

私は普段孤独に苛まれることは無く過ごせてます。

 

この地域活動支援センターで働く

精神保健福祉士さんが私のケアマネージャーさんとして

担当の方が着いてくださってます。

 

体調が良く無かったり、不安なことがあれば

まずこのケアマネージャーさんに普段相談します。

 

 

今は体調が凄く安定してきているので

通院は3週間に1回となってます。

 

先生は凄く優しくて

私の話を時間をかけて全て聞いてくれます。

大学病院でここまで気にかけてくれるところは

少ないと思います。ありがたいことですね。

 

 

そして、1月から就労継続支援B型の事業所で

週2の2時間から働き始めることになってます。

 

B型は雇用契約を結ばない形の事業所なので

お給料ではなく工賃が支払われます。

私の働く事業所は

儲けを利用者さん皆で分配する形だそうです。

 

あまり知られていないかも知れませんが、

生活保護でも月1万円以内なら収入として認められます。

 

 

そんなこんなをしているうちに

今年も残り少なくなりました。

 

2019年はB型の事業所で働くつもりなので

まだまだ一般就労までは遠いし

生活保護を抜けるのも多分まだ先だけど

周りの人達に助けられて生活しているので

なんとかやっていけそうです。

 

今、生活が苦しかったり生活保護

考えてらっしゃる方、今生活保護を受けていて

肩身の狭い思いをしてらっしゃる方。

 

私みたいに文化的に楽しく過ごしてこそ人間です。

どうか生活保護に暗いイメージを持たないで欲しい。

肩身の狭い思いなんてする必要は無いです。

あなたらしく生きる事を国は優しく守ってくれます。

笑顔で生きて欲しいです。

 

 

 

毒親から逃げて生活保護を受けた話。

 

どうも、いつぶりかのブログ投稿です。

iPhoneからの投稿なので

読みにくかったらごめんなさい。

 

 

今回は私がどうやって生活保護を受けたか

そして実際にどう生活しているかを書きます。

 

何故生活保護を受けることになったかは

過去のブログに書いてあると思うので

詳しくは割愛しますが

要約すると毒親から逃げる為です。

 

では早速書いていきます。

 

住所が東京にあった私ですが

まずは引越し先の浦安の市役所に行きまして

生活保護を受けたい旨を説明しました。

 

 

相談を聞いてくださった社会福祉課の方は

凄く丁寧に聞いてくださいましたし、

世間でよく聞く追い返したりなんてことも

全くしませんでした。

 

あと、受理されてから語る話ですが

わりと生活保護の申請が受理される事前提で

話が進んでました。

 

 

相談すると、生活保護自体は申請可能ですが

住所が東京にある状態では無理です。

と言われました。

 

なのでまず浦安に引越しをすることを

先に進めました。

 

この際、私は三親等以内の保証人を

得られない状態だったので

保証人・保証会社の要らない、かつ

生活保護で扶養範囲の値段の物件を探す事が

かなりキツかったです。運が本当に良かった…

 

こういう形が取れない方は

障害者向けのグループホームなどに入居する、

女性向けのシェルターなどに

住所を移すと言うやり方があると思います。

 

特に未成年で毒親から逃げたい人は

そう言った方法で世帯を分けたら良いのかな

と思います。

 

そうして住民票を浦安市に移してから

改めて市役所に行き、

生活保護の申請を行いました。

 

本来生活保護の申請をした場合は

私の親・親戚に確認の連絡‪が行くのですが

 

私の場合は親に行方が知れると

とんでもないことになるので

連絡はしないで欲しいと伝えた所、

その訴えはしっかり聞いてもらえましたので

 

親・親戚は全員私が生活保護

受けていることを知りません。

 

申請をして2週間程度で審査は終わりましたが

審査の間私は生活費が無かったので

市からお金が出ました。

 

そのお金は生活保護の申請が受理されたら

生活保護費の中から返す、と言う仕組みで

貸してもらえました。

 

更に生活保護の申請の際

家に冷蔵庫と洗濯機が無かったので

それを買うための扶助の申請もしましたので

問題なく買うことが出来ました。

 

この扶助は生活保護申請時にしか貰えないので

生活保護を申請する時にエアコンや洗濯機など

無い場合は申し出ましょう。

 

そういう流れで私は生活保護を受けました。

 

次の記事では生活保護を受けて1年

どうやって過ごしてきたかを書きますね。

引きこもりが3年ぶりに髪を切った話。

 

 

今日、私は

伸びきった長髪とおさらばしました。

実に3年ぶりの出来事です。

 

元々おしゃべり下手な私は

ヘアサロンと言う場所が苦手で、

 

ずっと患っていた鬱が酷くなってからは

外に出るのもままならなくて

結果3年もだらしなく髪を伸ばしてしまいました。

 

実家暮らしだった時は親に強制的に

行きつけのサロンに連れていかれたのですが

 

上京してきてからは鬱が酷く、また、

「私なんかが行ってもな」と言う卑屈な気持ちを

抱えていたので行けませんでした。

 

オマケに退職してからは外部と経つ生活。

「ご職業は何をなされてるのですか」

この言葉が恐怖で恐怖で。

 

今回は事務職に勤める人になりきりました。

全部嘘で固めた会話は辛かったですが、

 

ヘアサロンを予約した時から

シュミレーションをしてある程度の

切り返しは予想がついたので

なんとかのらりくらりできました。

 

美容師さんもプロですから、

こちらが少し適当に返せば

話を盛り上げてくださったので

その流れに身を任せました。

 

現在休職中や無職でその辺

困ってらっしゃる方は

身近な人になりきるといいかも知れません。

その為には普段から周りの話を

よく聞くことが大事になってきます。

 

あとは、

これは私のTwitterのフォロワーさんが

教えてくださったのですが

寝た振りをすれば話しかけてこないので

これもオススメです( ・`ω・´)

 

雑誌を読む・携帯をすると言うのは

意外と話しかけてくる美容師さんも居るので

対策としては△かも知れませんね。

 

帰宅後、私は凄く悲しくなってきて

泣いてしまいました。

 

髪を切りに行くことさえもままならない、

こんなに体力や気力を使わなければいけない、

私は障害者なんだと思って。

 

なんだかとても

やるせなくなってしまいました。

 

カットもカラーもできて

ウキウキするかなと思ったのですが、

現実を思い知ってしまった感じがして

とてもお疲れモードです。

 

思うのですが、

ヘルプマークをヘアサロンに普及すれば

障害を抱えた方が配慮を得やすいのでは

無いかなぁと考えました。

意思表示に使えたら便利ですよね。

 

そういう意味でもヘルプマークの認知度が

もっと上がればいいなぁと思います。

 

 

スポーツに興味が無いASDの悩み。

 

 

私のASDとしての悩み事の中に

オリンピックやサッカーがある。

 

正直スポーツに興味が無くて、

「大会が開催される」と言う

事実以上の認識はあまり無い。

 

だけど「応援しない人は非国民」的なノリが

怖いから仕方なく見ている感じで。

 

外へ出ても世間話はその事でいっぱい。

そんな周りに辟易している自分に、

話を合わせられないASDの部分を強く感じている。

 

だけど最近は少し変わってきた。

一緒に観戦する人が出来たことだ。

 

お付き合いしている彼や彼の御家族は

様々なスポーツに関心があるお家で、

一緒に観戦するうちに

"応援する"という事の楽しさを知った。

 

スポーツ自体に興味が湧かない事は

変わらないけれど、

それでも自分の中では大きな変化を感じる。

 

 

じゃあ変化を感じていてもなお悩んでいるのは

やはり、スポーツに興味を示せない事である。

 

一緒に観戦すると言っても

普段興味がない故に知識も無いので

リアクションが薄くなりがち。

 

常にそれを気にして彼の顔色を伺いながら

観戦しているので競技に集中出来ず、

結局見逃したりしてリアクションが薄くなる、

の悪循環。

 

興味が無いからって

愛想を悪くしたくない結果

挙動不審になってしまうのである。

 

意識していなければ、私の場合は顔に出る。

そこが私の悩みどころだと思う。

 

何に興味を持つかは人それぞれだと思うけど

私に変化が訪れたようにASDの場合は

他人と関わることでしか改善しない場面も

あるのかなって思います。

 

だから人と関わることはすごく怖いけれど

これからもTwitterや様々な場所で

沢山の人と少しずつ関わっていきたいな。

無印良品【超音波アロマディフューザー】レビュー。

 

今日は、

先日誕生日プレゼントに頂いた

無印良品の超音波アロマディフューザー

についてレビューを書きたいと思います。

 

私が頂いたものは

プレゼント用にぴったりのこちら。

 

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アロマディフューザー本体に

ラベンダー&スウィートオレンジと言う

2種類の香りがブレンドされたオイル10ml瓶1つ

がセットになったギフトBOXです。

 

 

詳しい中身はこちら。

 

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・本体

エッセンシャルオイル

・給水用計量カップ

・ACアダプター

 

の4つとなっております。

 

 

給水について。

給水量は100mlに対してオイルが2〜3滴。

 

必ず給水用計量カップを使用しましょう。

横着をして直接入れると

故障の原因を作ってしまいます。

 

また、給水量が多すぎても稼働しないので

100mlの容量は守りましょう。

 

タイマーは30分、60分、120分、180分

と最大180分稼働します。

 

2段階の点灯ができるのですが

タイマーを設定している場合

そちらも同時に消灯します。

 

 

アロマとしてはとても優秀だと感じます。

嗅覚過敏で部屋独特の匂いが辛すぎた生活と

おさらばできました(*´ω`*)

 

ただ、オイルが3滴なのと4滴とでは

それはそれで嗅覚過敏にはキツいので

おちついてゆっくり入れましょうね。

 

 

加湿についてはそこまで期待する程では

無いのかなぁと言った印象でした。

 

今は湿度が高い時期なので比べにくく

冬にならないと確かなことは解りません。

また半年後に書きます。

 

 

次にお手入れの方法ですが

ADHDの私的には簡単な方だと思います。

 

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アダプタを外し、カバーを外し、中の水を捨て

真ん中の凹んでいるところを綿棒で

優し〜く拭いてあげてください。

 

その後薄めた中性洗剤を布に含ませ

他のタンク部分を拭き取り、

お水だけを入れて30分稼動。

 

最後は自然乾燥させて終わりです。

 

きちんと手入れをしないと

悪い菌を繁殖させる原因となりますので

3日に1回程度の頻度でお手入れをしましょう。

 

 

次にエッセンシャルオイルについて。

 

本品は必ず植物由来の天然抽出成分100%

エッセンシャルオイル(精油)のみの使用

に限ってください。

 

合成香料を含むアロマオイルは

詰まりや故障の原因となるので使えません。

 

 

最後に早速飾ってみた様子。

 

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因みに点灯するとこんな感じです。

 

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光過敏の方の場合は

2段階目となる暗めの点灯でも眩しくて

就寝時には気になると思います。

 

聴覚過敏の方は

超音波で水がポコポコする音が

同じく就寝時の使用では

気になってしまうかも。

 

私の場合は雨の音みたいで好きですが、

そうじゃない方が多数だと思います。

 

なので、ベットなどからは

なるべく離して置く事を推奨します。

 

音に関しては本体の下に布を挟むと

改善されると言う情報を得たので

試してみましたが効果はありませんでした。

他に改善策がないか試行錯誤してみます。

 

 

以上が、1週間使用してみた感想です。

今後はアロマについても勉強しないとね。

 

読んでくださった方、

ありがとうございましたm(_ _)m

 

 

アダルトチルドレンの連鎖

今日は母の中にあるアダルトチルドレンという概念に
ついて書こうと思います。


母が毒親である所以の根底には「あんな親にはならない」
という強い思いがあると思われます。

どういう事かというと、母は幼少期、祖母に虐待されて育ちました。
常に叱られ、常に妹と比べられ、常に身体的・精神的に痛めつけられ
そうして母は育ちました。

なので前提として母の頭の中には「祖母とは違う自分で在ること」でいっぱい。
そのうえ愛されたことを実感できないまま育ったので愛されたい欲も強い。
…母は自覚していないですけどね。むしろ自分は愛されてると激しく主張する事でしょう。


なので結果的に私たち姉妹を縛り上げ、服従させることで
自分は子供たちに愛されているんだと無意識に自覚したい。


その表れの果てに毒親となってしまいました。
では実際にどういう行為を母はしてしまうか?


・娘あての郵便物でも勝手に開けてみてしまう
→貴女は管理ができないから見ておいてあげたよ。

・選挙の時に自分(母)と同じ党に入れてるか覗いて確認
→母が信じる正義こそ正義、娘には正しい事だけを教えたい

五分単位での報連相要求。返さないと家でヒステリーを起こし私を殴る
→心配してあげている優しいお母さんでいたい欲求。



いわゆる過干渉系毒親というやつです。
そこに、私が何もできない子だとレッテルを張り
貶したり罵倒したりということも加わります。


祖母のようにならないと一生懸命になった結果、
頑張りどころを間違えてまるで祖母のようになっています。


それでも母の中では一生懸命努力した気持ちしかないので、
私が意見を述べると母への否定だと捉えられてしまいます。


母は母の中で一生懸命生きているのです。
でも努力の方向が正しくなければいくら一生懸命でも
恩恵は受けられませんよね。


もう私は母と向き合うことは一旦やめましたが(しても無駄だと悟った)
自分が愛されたいからきゅうきゅうになってしまうことを
母には気づいてほしいと常に思います。


私は私でこの先家族をもし持った時、
「母のようにはならない」という思いに囚われないことが
とても重要だなと今から考察が止まりません。

ここでそのようにして思えばまた連鎖してしまう。
なので負の連鎖はここで止めたいです。



現在、私が受けてきた仕打ちを今度は妹が受けています。
私の家出から何も学んで無いようです。

すこしは客観的になれたかなと思っていたのですが残念です。
妹をスパイラルから抜け出させるために
今後は頑張っていきたいと思います。

人生の振り返り。~私の夢。

そんなこんなで波がある毎日を過ごし、
些細なきっかけによりTwitter発達障害アカウントを作ることになりました。
初期のフォロワーさんだと荒れてる私を知っているかもしれませんね。


それから、「自分が今できないことはとりあえず一旦置いておこう」
「自分のできたことを褒めよう」「生きてるんだ、私」

と徐々に自己肯定感を上げることができた結果、余裕が出てきました。



そしてある日、猫が飼いたいと突如思ったのです。
それで「猫を飼うには働かないといけないね、
働いてみようかな?」


そんなことがきっかけで働くことについて考え
前職であったパン屋さんのこともあり
またパン屋さんで働きたいなと考えていたところ

発達障害バーの存在を知ったので
「じゃあ私もパンで人を笑顔にすることがしたい。」

と思うようになりました。


もともと大学生時代からマイノリティな子供のための
店を持ちたいという気持ちを抱いていたので
その夢をTwitterで呟いたところ「いいね!」と軽く
リプで言ってのけた人物がいらっしゃって

それがきっかけで
そのまま胸に秘めた次第です。


ジャムおじさんになりたいとは
具体的にそういうことです。
マイノリティな子供や大人のために
パンを焼き場所を開放する。それが夢。


考えを整理するために書いたので
散文大変失礼致しました。